子供への虐待
今、とても悲しいニュースが報道されています。
2019年が始まり、早一ヶ月半。
こうした問題が報道によって表面化するのは一過性の事に過ぎず、
また芸能ニュースなどで埋もれていってしまうのでしょう。
この児童虐待の根本的な問題点はどこなのか。
これを見失いそうになりそうになるのは、物事は単純ではないから。
この問題を二軸で分けて考えていかないと、
本質的なことにはたどり着かないと考えました。
まず一つは、育てる親の問題。
親が子を虐待する理由。
理由なき暴力なのかもしれませんが、
物事には必ず因果関係があるということを前提に考えていく場合。
<外的要因>
・経済的な理由から生活が不安定。
・周囲の人間から虐げられていた。
・そもそも自分の親に虐待されていた、もしくは全く愛情なく育てられた。
<内的要因>
・考えたくもありませんが、
虐待をすることによって、親の何らかの欲求が満たされる。
→これは外的要因に対しての行動としても考えられるため、
必ずしも内的要因ではないかもしれませんが。
二つ目は、相談所の問題。
どうしても報道はここに行きがちですが、
そもそも児童虐待の専門機関ではないはず。
domestic violence.
domesticとは、
家庭の、家事の、家庭向きの、家庭的な、所帯じみた、飼い慣らされた、国内の、自国の、国内産の
飼いならされたという意味合いも含まれているのですね。
確かにそういうことになるのかもしれません。
では、目の届かない、他人が踏み込めない領域で起きている出来事によって、
尊い命が失われていく。
これは見過ごしてはいけないことであり、
単純に相談所の問題点を槍玉にあげていても解決しないことだと強く思いました。
自分にできることはなんだろうか。
社会貢献とは広い意味を持つ言葉ですが、
私はこうした問題へ取り組むことによって、社会に向き合いたいと思います。
では、具体的にどういった行動を起こせるのか。
まだなにもできませんが、考えていきたいと思います。