所謂のゲシュタルト崩壊
「所謂」とは、
「世間一般に言われている。世に言うところの」という意味。「連体詞」という品詞とのこと。
この所謂や、
逆に〜
変な話〜
などを親の仇のように連呼されながら商談や、
講義、コメントされる方、身近にいらっしゃるかもしれません。
私は最近ラジオをよく聴きますが、
コメンテーターの方に多いように感じます。
もはや所謂だらけで、1センテンスの頭に必ず所謂が出てきます。ゲシュタルト崩壊ですね。はい。
そういえばこの国の総理も、
「所謂、Go to Travel」
と言ったスピーチをされていましたが、
ゴートゥーは政府が打ち出したものなのか、
コロナ禍では海外から入ってきた施策であれば世間一般で言うところの、と言う観点で用法は合っているような気もします。
けれど、国民を牽引していく立場で、国が発出していることなのであれば、世間一般で言われているところの、という前置きは要らない気もします。
その前に、リーダーや、人前でスピーチをする必要がある方は、先ずは滑舌からですかね。。
あと、質問されたことに対する回答、結論は先に述べること。
海外の方が、日本人は本音やそもそも何を言っているか分からないと言うような話を昔から聴きますが、もしかするとそう言うことなのかもですね。
同じ国民同士、島国の言語すら、民族同士でも理解できないのであれば、海を隔てた国の方へ伝わる訳がないですね。
話す内容は相手方の頭の中に9割方入っていない、残らない、ということを前提に、
しゃべり方、言葉選び、間の取り方。
そんなことを意識していきたいと思います。
最後に私はこんな男になりたいと言う映像の共有です。